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記事2006年4月13日 2018号 (4面) 
将来を見据え一大変革実現 (1)
県内有数の進学校づくり ― 水城高等学校(茨城)
発想転換、速やかな改善策
 就学人口の減少が続く中で私立学校は、学費の安い国公立学校と、あるいは私立学校同士で生徒学生の獲得をめぐって厳しいしのぎ合いを続けている。学園の教育研究や経営を活性化し、社会にむけ特色や魅力を強く打ち出さなくては経営破たんにもつながりかねない厳しい環境だ。しかしそうした厳しい状況を認識、学園の課題も明らかなものの、教職員全員で危機意識を共有できず、一歩前に進めないという学園は少なくない。そこで今号からは学園の改革・活性化に成功した私立学校の取り組みや改革のキーポイントなどを掲載する。(編集部)

短期間に一気呵成の改革
生徒募集部の教員が将来の夢語り中学回り

 平成十八年春、水城高等学校(山野隆夫校長、茨城県水戸市、共学)の大学合格者数は、東北大・筑波大など国公立大百十七人、早稲田・慶應はじめ私立大は六百四十四人を数えた。かつて、問題生徒の多い学校と陰口された水城高校は、今や、県内有数の進学校に変貌した。道のりは、当然、平坦ではなかった。
 創立は昭和三十九年。「洗心教育」を建学の精神に掲げ、人格形成を柱に男子校として開校。まもなく、県立高校を補完する高校として経営的には安定期に入る。しかし、創立から二十年ほどたって、学校の荒廃が目立つようになり、退学生徒が増加。教員たちは生徒指導に疲れ果て、あるいは自信を失って去っていった。生徒減少期を目前に、このままでは経営的にも問題だった。
 こうした中、昭和六十年、中長期経営計画を策定する計画審議会が発足。メンバーは理事、校長等管理者、外部有識者、一般教員代表である。同審議会の答申は「発想の転換をはかり、英断をもって可及的速やかに改善策を樹立し、年次計画に基づき着実にその成果を上げていくのが、唯一の道」と提言。答申を受けて改革へ機運が高まった。校内に総合学園調査会が立ち上げられ、さらに全教職員が参加した各小委員会で具体的なプランが練られた。出てきたのが「進学指導体制作り(昭和六十三年から進学コース設置)」「共学制への移行(進学コースのみ平成元年から、同四年から完全導入)」「制服の変更(平成元年導入)」「米国大学との提携による留学制度(同)」「進学校のイメージを象徴する新校舎建設(四年八月完成)」であった。いずれも第一次改革として速やかに実行に移された。とはいえ一部では、進学校へほんとうに変わることができるのか、と不安の声があったのも事実だった。
 平成三年、当時、計画審議会のメンバーだった後藤宏教諭(現在は事務局長兼入試広報室長)は、近隣の進学校を次々と訪問し、進学校を目指すための情報を集めていった。そして五月十五日、後藤教諭は、進学実績を急激に伸ばしていた県南の私立高校を訪問。そこで、「運命的な出会いだった」と言う故・横須賀康人教諭(後に水城高校教諭、平成七年急逝)に出会う。横須賀教諭は、その日夕方まで生徒募集や学校づくりの方法などについて詳しい説明をしてくれた。その内容に後藤教諭は驚いた。後に横須賀教諭は、貴重な体験やノウハウを生かして水城高校で活躍することになる。
 同年八月には、通年で活動する新しい生徒募集部が立ち上がった。また同年十月には横須賀教諭が水城高校に移ってきて生徒募集部に加わった。こうして第一期生徒募集部のスタッフは、部長(後藤)、副部長(横須賀)を含め総勢七人でスタートした。早速、中学校回りが始まった。その結果平成四年度の受験者数は、一万三千百十六名に達し、周囲を驚かせた。
 進学実績のない当時の生徒募集部としては、将来の夢を語るしかなかった。しかし、夢を語るだけでは、優秀な生徒を預けてはもらえない。ハード・ソフトの両面で魅力ある進学指導体制が整っていることをPRしなくてはならない。水城には既にコース制が導入されていたが、これを平成四年度から特進A・特進B・進学・教養の四コースに再編成し、特進Aの二クラスには特待生を主体に優秀な生徒を入れること、教室も新校舎を使うこと、担任など進学指導は生徒募集部の教員自らが当たることなどを中学校側に説いた。
 平成四年度は、第二次改革の始まりだった。特進A二クラスの進学指導のすべてを、生徒募集部のスタッフを含む若手教員十人が専任で担当。プログラムは、まず毎日の早朝自習。通常授業のほか週三日が七時間授業。放課後は演習中心のゼミ形式の講座、さらに代ゼミのサテライン授業も実施。これらのプログラムはその後、改良を加え、現在の進学指導プログラム「水城システム」となる。八月には六階建ての新校舎(現一号館)が完成、この新校舎はまさに改革の旗印となった。
 当時、特進Aコースの一年生が下校するのは毎日午後六時から七時。教員はさらに居残って業務をこなすため、新校舎の灯は毎夜午後十時過ぎまで消えることはなかったという。
 勉強漬けの生徒たちに、一方では、毎日の校内清掃、あいさつの励行を徹底した。息抜きのため夏に二泊三日の林間学校(磐梯高原)を実施、思いっきり遊ばせた。それがクラスメートや教員との連帯感を強めた。帰ると再び勉強漬けの毎日だった。二年次の修学旅行は平成六年度からカナダへ変更し、学校行事を魅力あるものにしていった。変わろうとしている水城の姿が、地域の人たちの目に映るようになり、評価は上がっていった。
 水城入試の受験者数は、四年度から八年度まで四年連続一万人を超えた。大学合格実績も、四年度入学の生徒は国公立大学に三十九人、五年度生は同五十八人、六年度生は七十八人が合格と年々増加、五年度生からは待望の東大合格者を出すことができた。水城高校はわずか四年で完全に進学校としての評価を得ることができた。
 平成十五年度からは、北島瑞男前校長の下で、『新学校改革』に取り組んできた。新二号館の建設、体育館のリニューアル、東大・京大・医学部を目指す特進Zコースを新設、特進Zでのプレミアム授業(英会話集中講座)の実施、教員採用システムの構築、二学期制の採用、授業アンケートの実施など。矢継ぎ早の改革は、どんな改革もその都度見直しを行わなければ停滞してしまうからだ。
 学校改革のポイントを後藤事務局長は、▽魅力ある学校イメージの構築▽生徒募集体制の確立▽コースの見直し▽特待制度の活用(優秀生徒確保のため)▽学校行事の見直し(メリハリを持たせる)▽生徒指導の充実(校則を守らせる努力など)▽進学指導体制の充実、と言う。
 そして、改革成功の鍵を「少人数のコースから開始すること。まず十人程度のプロジェクトチームで開始してみる。それも短期で一気呵成(いっきかせい)にやることが大切」と話す。


クラスの団結力アップなどを目的に行われる3日間の林間学校(福島県・磐梯高原)

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