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記事2004年9月3日 1946号 (1面) 
論 壇 ―― 近頃の「構造改革」や「三位一体改革」について
教育政策の混迷を憤れ
学校法人九里学園理事長  九里 茂三
 近頃、政府主導の「構造改革」や「三位一体」とやらの論議が喧しい。
 それにしても許せないのは、教育の真の在り方や、明治以来の官尊民卑の教育行政の反省もなく、財政や経済効率の都合などで論議が進んでいるという質の低さだ。
 私は戦後しばらく公立学校の教師をつとめたが、管理主義の抬頭に憤り、四十歳からの四十数年を地方私学の経営と教育に献身した。教師や父母たちに「私学こそは教育の本道」と力説しつつも、いわれない官尊民卑と公立に比して何倍もの学費負担を強いられる父母たちの労苦を思い、父母会や私学の仲間たちとの「私学振興助成法」の提唱に賛同し、身を挺(てい)してこの運動に狂奔した。三十数年前の日のこと。そしてこの思いを真剣に受けとめ、国会での議員立法に立ち向かってくれた当時の若い議員諸子の純情を忘れない。
 残念ながらこの法案は、当時の大蔵官僚の猛反対にあい、「大骨・小骨を抜かれて、見るかげもなく……」と慨嘆させるほどの、私に言わせれば「逃げの法案」となったのである。当時の野党議員も「こんな法律では私学の危機は救えまい」との憂慮を示したが、「これさえ通しておかなければ、私学振興のきっかけもつくれない。今後修正しようとすればできるのだから」と、涙をのんでの妥協であったと聞いている。
 このことは、今や長老となられた議員諸子には忘れてほしくない「私学振興助成法」成立時の経過なのである。二分の一助成の悲願を書き添えたこの法律の願いは、ついに達成されることなく今日に到っている。
 私は地方の公私協議会の席上、建議として、公私のいわれない待遇の差別の実態を述べ、公立学校の納付金を引きあげて、せめて二対一程度に縮めることはどうかと提示したのだったが、県教委から参席した委員から「公立学校は庶民の為の教育機関ですから、それはできません」と応じられた事を、私は決して忘れない。
 ならば私立校の生徒たちは庶民の子ではないとでも言うのであろうか。むしろ実態は逆であろう。日本の到る処で、官公立は安全で、民間、特に地方のそれは、わけもなく行政の対象からはぐらかされる運命なのである。
 今や、大企業や国の財政担当者の不始末のあおりを受けて、バブルははじけ、弱者はリストラと重労働につかれ、子弟の学資も思うにまかせず、私学では就学断念の生徒が絶えず、また納付金の滞納がひどくなりつつある。政治はこれらを、例によって競争の原理を掲げて、それはやむを得ないのだと逃げるのであろうか。
 戦後も既に六十年。あれ程誓い合った平和と民主主義の大理想は空洞化し、憲法改正をもやむなしと考え、教育の大義は財政経済のいけにえになろうとしている。かつて経済成長の異常に伸びた三十年前、OECD教育調査団は、日本の教育が「選別と産業主義」に貫かれているのを見、「学校は人間の発達という教育的側面に力をつくし、選抜の機能を重視するようであってはならない」と繰り返し忠告し、「産業こそ教育の観点から考えねばならぬ時代」と喝破しているではないか。
 ここで私は提案する。地方の教育の弱者とされる私学人と父母たちよ。今更(あらた)めて自らの理想と正義のために団結しよう。かつてのように、私学の経営を助けようというよりは、日本の教育が不当にゆがめられようとしていること、そして特にその中で、私学に通う子女たちへのいわれない差別を憤るのだ。自由を旗印とし、反逆の思想に裏打ちされている筈(はず)の私学人よ。私は何度でもこのことを訴えないでは居れないのだ。

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