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記事2004年7月23日 1943号 (7面) 
新世紀拓く教育 (25) ―― 武蔵野女子学院中学高校
中学一年から「宗教」の教科
脳死と臓器移植、少年犯罪等テーマに
 武蔵野女子学院中学校・高等学校(田中教照校長、東京・西東京市)の入学式は毎年四月八日、聖誕節(釈尊の誕生の日)の儀式行事と一緒に行われる。新入生の中には、初めて見る仏教行事に、非常に驚く者や違和感を持つ生徒もいるという。しかし、卒業時にはほとんどの生徒が、同校の仏教主義の人間教育・宗教教育を受けてよかったと言う。宗派としては浄土真宗本願寺派だが、「それを押しつけるようなことはない。のびやかな校風です」と教科「宗教」を担当する艸香(くさか)秀昭教諭は話す。
 今年度、中学校は定員の四―五倍の応募があったため、入学者を増やして昨年度より一クラス多くした。人気の理由は、仏教主義に基づいた教育に賛同して卒業生が子供や孫たちを受験させることと、もう一つは、自転車通学生が多いことからこうした教育が地域の人たちに支持されているのではないかという。
 一年間に実施される主な儀式行事は、前出の聖誕節、成道節(釈尊の悟りの完成の日)、涅槃(ねはん)節(釈尊の入滅の日)、同慶節(親鸞(しんらん)聖人の誕生を祝う日)、報恩講(親鸞聖人の往生の日)、悲田祭(聖徳太子の一族が滅亡したのを哀悼する日)、彼岸会、感謝と懺悔(ざんげ)の集い、などである。
 生徒たちの一日は、毎朝、「三帰依文」が流れる中、合掌・礼拝を行うホームルーム朝拝から始まる。週に一日は学年ごとに、講堂朝拝も行われており、壇上には南無阿弥(なむあみ)陀(だ)仏(ぶつ)の名号が掲げられ、パイプオルガンの演奏が行われるなか、当番の生徒が献花・献灯・献香を行う。その後、生活上の注意や、「聖語集」(釈尊や親鸞聖人、聖徳太子の言葉などを集めた小冊子)をもとに、その時々の題材を取り上げた講話がある。
 教科「宗教」があるのも大きな特徴で、中学一年から高校三年まで、週一時間設けられており、年間授業時数は約三十時間。担当している専任教諭は二人、そのほか講師を依頼している。
 授業内容は、中学段階では、仏教だけでなく、世界のさまざまな宗教の基本思想を学びながら、それがどのように生活と密着しているかを学習する。
 高校では、一年生は、高校段階から入学してくる生徒が約八十人いるため、基本的な仏教思想や初歩的な宗教学を授業内容としている。二年生は、科学と宗教、哲学と宗教の相違、釈尊の生涯とその教え、仏教の根本思想を学ぶ。三年生は、現代社会の具体的な問題を取り上げ、仏教との関連について考える。
 例えば、艸香教諭が担当している高校三年生の授業では、教科書として『釈尊の道』(小山一行著)、『仏教と人生』(浄土真宗本願寺派学校連合会)を使用。一学期は「生と死」をテーマに進める。取り上げる内容の一つが「脳死と臓器移植」だ。日本初の臓器移植は昭和四十三年に札幌医大付属病院の和田教授が行った心臓移植手術である。だが、この手術は、臓器提供者の死亡判断や臓器移植の必要性などをめぐって疑惑が浮上、札幌地検が捜査したが、立証するに至らず不起訴処分となった経緯がある。
 以後、日本における臓器移植は生体臓器移植が主流となり、平成九年に「臓器移植に関する法律」ができ脳死の判定基準が示され、この法律による脳死判定は今年七月五日に三十一例目(朝日新聞七月六日付)が出されたばかり。
 しかし、子供に対する臓器移植はいまだに海外に頼っている。
 艸香教諭はこうしたことについて、まず医学的な見地から説明し、さまざまな情報を提示、さらに、例えば、自分の子供が臓器移植が必要になったとき親としてどうするだろうかなど、問題提起して生徒たちに考えさせる。そして仏教の立場からどのように考えられるかを話す。
 最終的には自己の存在と「生きることの意味」を生徒たちに考えてもらうことが狙いだ。
 二学期には親鸞聖人の生涯を学ぶとともに「人生を思う」をテーマに「少年犯罪」の問題などを取り上げ、地域社会の消滅・核家族化した現代における関係性の崩壊について考える。後半は「善と悪」をテーマに「えん罪」や「戦争犯罪」の問題などに取り組み、人間の根底に潜む絶対的な罪悪性について考え、そこから人間存在の根源的意味を思索する。
 成績評価は一・二年生は試験により、三年生はノートの提出や小論文で行う。
 この小論文では、ほとんどの生徒が、宗教の授業を受けてよかったと書く。艸香教諭は、批判的な意見も積極的に書くよう指導しているが、大半は肯定的な内容だ。それはうれしいが、現代の若者が急速に「批判精神」を失っていっているのではないかと危惧(きぐ)も抱いている。
 生徒たちがどのように感じているのか、小論文の一部を紹介する。
 「私は高校一年生の夏に初めて身近な人の死にであいました。そして初めて何物にもかえがたい悲しみを味わいました。(略)私は悲しみの涙でいっぱいになりながらも、周りの誰よりも落ちついている自分に気がつきました。(略)三年前は異様だったものに今では安らぎを感じることさえできる。それがとても大きな私の収穫でした」「私には仏教の奥深いところは分からない。しかし(略)信仰というのも、決して侮れないと今は思っている。宗教であってもそうでなくても、心に信念をもっているということは、人間を強くするし、逆境に陥ったとき支えてくれるものだと思う。(略)宗教の時間によって、宗教について、諸問題について、人生について、じっくりと考える機会が与えられたことに感謝している」
 今年度、武蔵野女子学院に薬学理系コースが設置された。これは併設の武蔵野大学に薬学部が開設されたことに伴うものだ。薬学は人の健康・命にかかわることであり、このコースの生徒たちにも教科「宗教」は意義あるものとなるでしょうと艸香教諭は言う。

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