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記事2004年10月23日 1954号 (7面) 
トップインタビュー 教育はこれでよいのか 知恵と心を学ぶ
江戸東京博物館館長 竹内 誠氏
江戸時代は家庭、学校、地域で教育
寺子屋の教育力が欧米文化を早く吸収



 「明治の新政府によって、江戸時代は非常に暗く、不幸な社会だったというイメージがうえつけられました。新政府が明治維新を進めるためには、江戸時代の文化や教育などすべてを悪とみなし否定する必要があったのです」
 江戸東京博物館の竹内誠館長はこう切り出した。そのうえで、「江戸時代は封建的社会であるのに大して、明治以降は近代的な社会であるといわれ、江戸の文化や教育などについては正確に認識されなくなったのだと思います」と語る。
 江戸時代の教育の程度は実は非常に高かった。高度ですぐれて精密な日常品が作られていたが、「これは知的な水準の高さに裏付けられていなければできないことです」と指摘する。
 竹内館長によると、@二百六十年間続いた江戸時代は鎖国をしていたことA徳川の一政権が支配しており、平和であったことB政治家と一般民衆が知恵を出し合いながら折り合っていたこと、これらの理由から江戸時代は経済はもちろん、文化や、その根底をなす教育の程度(例えば識字率)も非常に高かったという。
 「江戸時代の中期ごろから、寺子屋が非常に発達しました。ここでは読み・書き・そろばんなどを教えていましたが、経済的に余裕のある家の子供だけが通ったのではありません。寺子屋で学ぶことは、義務教育的な存在になっていたのです」
 初等教育を普及させた寺子屋の存在は大きかった。しかも、幕府が寺子屋を作ったのではなく、庶民が自助努力によって作り、識字率を向上させる成果を出していることを高く評価する。
 竹内館長は江戸時代の教育の高さを示す文章として『シュリーマン旅行記清国・日本』(石井和子訳・講談社学術文庫)の次の文章を引用する。
 「もし、文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。……日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」
 「江戸の庶民は出世をしようとは思わなかったはずです。むしろ学んで、心豊かな暮らしをしたいという欲求があったと思います。これが物づくりを支える力となっていたのです」と話す。
 竹内館長は、寺子屋について江戸時代の資料(「天保七年、信濃の国水内郡平林村 若者仲間議定」)を紹介する。
 「人生まれて七、八歳より手習いし、十歳ごろより算盤稽古致さず候えば、生涯無筆無算と人に笑われ、自心にてもはなはだ恥しく思い候」
 当時、いかに寺子屋で学ぶことが大事だったかが分かる。寺子屋での基礎があったからこそ、その後、欧米の異文化を早く吸収できたと語る。
 また、江戸時代の地域の教育力という点について、「江戸時代は地域全体で子供の教育にかかわっていた時代です。家庭、学校(寺子屋)、そして地域と三者で子供を育てていた時代です。現在では地域の教育力は落ちています。どう再生させるかが今後の課題です」と指摘。
 「私学は寺子屋や私塾などでみられるように、江戸の伝統を受け継いでいると思います。私学は個性があるからこそ存在意義があり、それが大きな特徴です。それぞれの学校はその使命の実現の仕方は違っても、使命を果たそうという心は持っているはずです」と竹内館長は強調する。
 「二十世紀は物質文明が頂点に達し、物と量の世紀でした。大量生産と大量消費の時代で、資源の枯渇と物の廃棄が社会問題となったのです。二十一世紀は豊かな心と高い質を向上させる時代だと思います。豊かな心と質の高さを江戸時代から学ぶべきではないでしょうか。キーワードは知恵と心を学ぶこと、私学教育(寺子屋)、地域の教育です」と江戸時代から学ぶべきことを示す。
 江戸東京博物館は竹内館長はじめ、五人の研究者が知恵を出し合って、既存の博物館とは違うものを造ろうと考え目指したのが、@都市の歴史A庶民の歴史B実体験型の博物館だ。平成十五年度は二百二十三万人もの来館者があった。
 竹内館長は現在、東京学芸大学名誉教授、徳川林政史研究所所長、日本博物館協会副館長、および社会経済史学会顧問などを務める。

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