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記事2002年7月3日 号 (8面) 
私学助成に関する理論的考察
東京私研・特別調査研究会
私学の自主性と公共性
私学助成の根拠は公財政への寄与 元国立教育研究所次長 市川昭午氏


 私学助成が始まってからもう三十年以上たち、私立学校を取り巻く社会状況が大きく変われば、当然助成の在り方、経常費補助に対する考え方などもどこにアクセントを置くかは変わってきます。  私立学校の存在は自由民主主義と価値多元的社会にふさわしい教育の多様性と、国民の学校選択の自由を保障するためにあると思います。  なぜ、私学に対して公費支出が行われるのか。常識的には学校教育が社会全体に有益であると判断されているからです。そうであるならば、これを奨励するために公費による補助は不可欠なものです。私学は公教育の一環とされ、十分な公費補助に値するものです。公教育とは公立か私立かではなく、公共財としての教育か私的財としての教育かということです。役割や機能が公的か私的かということは、所有とか経営ではなく、だれにサービスするかによって判断すべきだと思います。  しかし、私学に対して公費支出を行うことにもおのずから限界があることも事実です。  私学は本来、政府から「独立した学校」(independentschool)であるはずです。私学のさまざまな長所はここからきていますが、公費補助を増やそうとして私学の長所を失ってしまうことは注意すべきことだと思います。  それでは、具体的に私学に対する公費補助の拡充をこれからどう運動していったらいいかという問題があります。一九七五年に私立学校振興助成法ができまして、今日まで、社会は著しく変化しています。一つは青少年の人口が激減したことで、私学はこれまで以上に公立とはいかに違うかということを前面に押し出す必要があります。二番目は国公立の学校も大きく変わり、公立が本来行うべき国民形成や機会均等よりも、個人の需要に応じるというように政策の重点目標が移ってきまして、消費者主権が強調されるようになりました。これに対して、私学はこれまで以上に自主性を発揮し、独自性を明確にする必要に迫られています。三番目には国と地方の財政が逼迫してきたことがあります。地方分権化の進展に伴い、高校以下に対する経常費補助も文部省から都道府県に出る経常費補助、いわゆる直接的な補助金よりも、地方交付税交付金の方のウエートが大きくなってくる傾向になります。地方交付税をどれだけ私学に使うかどうかは、都道府県知事の判断によることになります。今後は地方財政、各都道府県ごとの私学政策は非常に重要になります。  助成を取り巻く環境が急速に変貌する中で、新しい助成の根拠を打ち出す必要があります。  私学助成の法的根拠として「法律に定める学校は、公の性質を持つ」(教育基本法六条)ことが根拠とされたが、公共性を根拠とする助成は、ともすれば自主性が制約されてきたことを考えると、自主性もまた公費助成の根拠とされることを認識する必要があると思います。公費支出に値するか否かは、私学がどこまで独自性を発揮するかどうかにかかっています。  私学の独自性をもっと前面に出す必要がありますが、もう一つ、私学の存在は財政の負担になっているのではなく、むしろ財政を助けているのだということです。私が計算してみますと、平成十年度私学教育を国公立で実施した場合七兆八千四百六十二億円掛かるわけです。その結果、実際の国と地方の学校教育費は十八兆五千四百五十一億円だったのが、私学がなくて全部国公立だとすれば、二十六兆二千九百二億円で、財政負担が四二・三%増えるわけです。仮に私学が全部なくなれば、七兆八千億円も財政負担が増える。私学への補助金一兆六百八十九億円を二倍にしても二兆円位で済むわけだから五兆円くらい財政が節減できる。  ところが、都道府県委員会の中には公立離れを防ぐなどして、今まで以上にお金を公立につぎ込もうとしているところがあります。公立よりも私立を選ぶのが多ければ多いほど、地方の財政難は緩和されるのです。いまや私学助成の根拠として、危機的状況にある国や地方の財政を救うのだ、公財政支出の節減に寄与しているのだということをもっと声を大にして叫ぶべきではないかと思う。
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