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記事2002年6月23日 号 (6面) 
ユニーク教育 (107) ―― 中央大学杉並高等学校
来日中止乗り越え交流
出会えてわかったこと
韓国中山外国語高校訪問が実現


 中央大学杉並高等学校(阪口修平校長、東京都杉並区)の大韓民国・中山外国語高等学校への訪問が実現したのは、生徒、教職員の願いが一つになったからにほかならない。
 平成十四年三月十六日、中杉生五十一人は中山外国語高等学校の、学校挙げての大歓迎を受けた。「体が震えるような感動を覚えた」と振り返るのは、同行した菊地明範教諭だ。
 一年前の平成十三年三月十七日、両校は国際理解教育の一環として「教育に関する協力協定」を締結、中杉校は七月に中山生二十一人を迎え「合同サマースクール」を行うはずだった。
 箱根キャンプでの日韓カレーライス合戦と称する野外炊飯、歌舞伎鑑賞、ホームステイの準備などの計画を生徒たちが中心となって進めていた。音楽の授業では韓国の歌を練習した。吹奏楽部は中山校校歌の練習、美術部は横断幕に書くハングルを練習するなど、中山生の来日が決まってからは生徒、教職員は大忙しの毎日だった。
 中杉校側の受け入れ態勢がすべて整ったとき突然“来日中止”の電話がかかってきた。来日三日前のことだった。いわゆる「歴史教科書問題」が原因だった。
 「驚きと憤りを感じた」という菊地教諭は、生徒に何と説明しようかと悩んだ。「抗うことのできない力によって〈学ぶ〉という崇高な思いも踏みにじられることがある」そんな説明が教育的であったのか、自責の念に駆られたという。しかし、両校の生徒がお互いに会いたいという気持ちは同じはずだった。
 十三年九月になると、二十人の中杉生がこの件についてパネルディスカッションを開いた。話は「歴史教科書問題」「靖国神社問題」へと発展していったが、結局は「どうしたら彼らに会うことができるだろうか」という話に展開し、「必ず彼らに会おう」という結論で落ち着いた。その後署名運動などが生徒によって行われた。
 とうとう、生徒・教職員の熱い思いが結実した。中杉生五十一人が中山校に行くことが決まった。「会いたいという純粋な気持ちが両校の生徒にあったからこそ、実現した交流」と菊地教諭は熱く語った。訪韓の目標は「(1)異文化体験を通じて、自己を再発見し、豊かな人間性を養おう(2)国際性を身につけよう」だ。
 中杉校では「対日感情を考えると時期尚早ではないか」という声もあった。しかし結果的にそれらは杞憂だった。訪問が決まってから、中杉生は韓国語を練習したり、歴史の勉強をしたりした。生活習慣も頭に入れた。
 三日間のソウルでの研修では市場や博物館にとどまらず、西大門刑務所跡や板門店も見学した。それは〈現在の韓国〉をそのまま理解しようという試みだった。ソウル研修を終えて中山校に向かった。中杉生を乗せたバスはパトカーの先導によって中山校の門をくぐった。バスを囲むように手を振る中山生たち。歓迎ムード一色に包まれていた。体育館での歓迎パーティーでは、両国の歌や踊りがそれぞれから披露された。中山生の数人が日本の歌謡曲を歌い始めると、聴いていた中杉生が次々に舞台に上がり、ついには両校生徒全員が肩を組んでの大合唱になった。生徒たちの気持ちが通じ合った一瞬だった。
 「感動的だった。十年前から思えば正に隔世の感がある。教師をしていてよかった。この場を共有できて幸せだった。涙が流れて止まらなくなった」と菊地教諭は言う。
 生徒はそれぞれの思いを刻み込み、自己を再発見したはずである。
 「生徒たちは得がたい経験をした。今後の彼らが新しい時代をつくっていくのだと確信した」
 今年七月には中山校の生徒が中杉校を訪問する。中杉校では受け入れの準備が着々と進んでいる。




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