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記事2001年10月13日 26号 (6面) 
日本の教育はどこへ
分かる喜びを感じさせる授業に
相談と検査の技術研修会 講演要旨 教育相談研究所
画一的硬直的教育が問題 最大要因は学力偏重


第三十三回相談と検査の技術研修会(教育相談研究所主催)がこのほど、東京・市ヶ谷の私学会館で開催された。研修会では学校における今日的課題に対応するため、教育相談(カウンセリング)的な手法を生かした教育手法について、講演や実践研究レポートの報告などが行われた。ここでは、文化女子大学教授で同附属杉並中学校高等学校長の野原明氏の「日本の教育はどこへ」と題した講演(要旨)を報告する。

【臨時教育審議会以後の教育改革】

 現在、日本では教育改革がしきりに言われ、その具体的な表れとして、来年からは新しい学習指導要領による学習が小中学校で始まります。教育改革のきっかけになったのは、昭和五十年の後半になって学校が荒れ始めたことでした。そこで、臨時教育審議会(内閣総理大臣の諮問機関)ができ、その答申で、「教育の荒廃」をなくすための方法として三つの原則、すなわち(1)個性重視の原則(2)生涯学習体系への移行(3)変化への対応が出されたわけです。これと併行して、校内暴力の鎮静化に各市町村も学校もさらには警察も努力し、一応校内暴力が鎮静化したかに見えました。
 ところが、今度は「いじめ」が発生し、「いじめ」が鎮静化すると今度は不登校。つまり、一つをたたけば次が出てくる。一つ一つをやっていても問題の解決にはならない。
 では根本的には何が問題なのか。私は、子供たちに分かる喜びを感じさせることのできる授業というものを考えない限り、問題行動はなくならないだろうし、学校が楽しい場所にはならないと考えております。
 そこで問題になるのが、画一的硬直的な教育ということです。では、画一的とは何か。例えば、小学校で生活科ができた時に、その目的から考えて教科書はいらないだろうと私は文部省に言いましたが、結局、生活科の教科書は作られ、その中には植物を育てなさい、小動物を飼いなさいと書かれており、アサガオやウサギが描かれていました。だからその絵の通り、全国の小学校でアサガオを植え、ウサギを飼った。これを画一的だというのです。
 どうして北海道の酪農地帯でウサギを飼う必要があるのか。どうして稲作地帯でアサガオの観察をするのか。家に帰れば観察するものはいっぱいあるじゃないですか。結局、一番画一的なのは教師なのです。
 さらに言えば、日本の学校教育がおかしくなった最大の原因は、大学受験のための学力に偏り過ぎたことです。フランスには大学に入るためにバカロレアという試験があります。この試験では小論文が課され、テーマは例えば「現代のように科学技術が発達した社会において、なぜ宗教が存在するのか」「法の普遍性はありうるか」といったものが出されています。つまり、フランスの高校三年生は、そういう哲学的な問題について、自分なりに考え、その結果を文章で表現することを求められているし、そういうことを学校で勉強しているのです。
 日本ではどうか。入試のためにただただ知識の記憶をする。これが学力といえるのか、勉強といえるのか、考えなければいけない。

【「生きる力」の育成と新学習指導要領】

あいまいな新学習指導要領

 日本の教育はこれではいけないといういうことで、一九九六年に中央教育審議会から答申が出され、「生きる力」をはぐくむべきであるとして生まれたのが新学習指導要領です。この中で、「生きる力」を育てるためのポイントとして、(1)学校完全週五日制(2)教育内容の厳選(3)総合的な学習の時間が挙げられています。
 ではこの三つをやったら、子供たちに「生きる力」がはぐくまれるのか、ということが大きな問題としてわれわれの前に存在しています。例えば、二番目の教育内容の厳選。内容を削減するわけですから、親御さんにとっては不安材料です。
 最近では、学力低下論争も噴き出して文部科学省は、学習指導要領について、従来は最高基準だと言っていたのに、今回の教育内容については最低基準制の明確化だ、と言い方を変えてきた。
 そういいながら、教科書検定では明らかに最高基準としての検定をやっている。それはともかく、最低基準というなら、最高基準はないということになって、学校によってどこまでやっても構わないということになる。この辺が非常にあいまいです。

【これからの教育の方向】

自ら学び自ら考える力
学校教育の大きな命題

 つまり、学力とは何かということをしっかり押さえた上で、学力が低下しないような、そして同時に、自ら学び自ら考える力をつけていくということが、これからの学校教育に求められている大きな命題です。
 ジャーナリストの立花隆さんが数年前に、東京大学法学部の学生には教養がない、ということをお書きになったことがあります。彼が言いたいのは、自分の専門外のことをどれだけやるかが問題だ、ということです。まったく同感です。立花さんは社会学科の学生時代に、哲学科の学生や理論物理の学生と夜を徹して議論したことが何回もある。社会学科の彼が量子力学を勉強する必要はない。しかし、それをやることによって、いろいろな物の考え方、論述の仕方、議論の立て方といったことを学ばれたのだろうと思います。そしてそれが、現在、一流の評論家として活躍される立花さんの素地の一つになっているはずです。
 教育とは、物の考え方や問題解決の方法論を自然に身につけていくことだと思います。
 それを身につけるための方法は何かというと、それは教養です。教養とは、専門外のことにどれだけ自分の頭と能力を使うか、あるいはエネルギーを使うかということです。つまり、さまざまな無駄や、専門とは関係のないことが人間の厚み、深みをつくるのではないでしょうか。

【特色ある教育と教員の役割】

学校の対応を徹底的に議論
初めて特色ある学校実現

 では、そういう教育をするには学校はどうするか。
 それには、まず、教える側の先生方が、どれだけ視野を広め、勉強を深めていくかが、最低限必要なことではないか。
 例えば、新学習指導要領を、何人の先生が読んでいるでしょうか。
 私が校長になって赴任した時、全教員に一冊ずつ学習指導要領を配りました。全部、読むように、少なくとも総則と特別活動と自分の教科と隣接教科については読むように言いました。そういうものにきちんと目を向けていない先生に、教育改革をやれるわけがないと思うからです。
 総合的な学習にしても、何を狙いにして、どうやるのか、ということを一人ひとりの先生が考えて、みんなで徹底的に議論して、学校の中で共通の理解、共通の認識を持って「うちの学校はこれをやろう」というようなことをしない限り、総合的な学習の中で「生きる力」をはぐくむことなんてできるわけがない。
 ただ、文部科学省は学習指導要領にいろいろなことを書く。小学校でいえば、国際化時代だから「外国語のコミュニケーション」、情報化時代だから「コンピュータ」。
 中学・高校なら、「国際理解」「情報」「環境」「福祉・健康」。
 そうすると、学校はそのうちのどれかやればいい、あるいは全部やろうとなる。違うのです。これらは単なる例示にすぎない。無視していいのです。
 私の学校では昨年、七月の終わりに、うちの学校はどうするかということを徹底的に議論するために、プロジェクトチームをつくりました。
 今年、ほぼ一年経って、大まかな考え方が出てきました。
 これに基づいて、先生一人ひとりが、自分のクラスは来年からどういう総合的な学習の時間に組み立てていくか、計画を考えて、この夏休み中にリポートを書くように、と宿題を出しています。
 ここから、新しい教育がスタートできるわけで、そこから初めて特色ある教育や特色ある学校を実現できるのではないだろうか。

先生の意識と授業土台に教育を変える

 まず、それぞれの学校が何を考え何をやろうとしているかを、徹底的に煮詰めた上で、その情報を公開していく。中には、うちは今まで通りです、という学校もあっていいでしょう。先に批判しましたが、受験対策だけをやればいい、という学校があっても、それはそれで構わない。堂々と旗を掲げればいい。
 ただ、親たちが、自分の子供が勉強するのに、あるいは通学するのに一番ふさわしい学校を冷静に選ぶための情報は、きちんと公開する義務と責任が学校にはあるだろうと思います。
 もう一つの問題は、教員です。たまたま私の学校で、授業で生徒に理解させることがうまくない先生や学級運営に問題がある先生方がいましたので、いろいろバックアップし、頑張ってもらいました。
 しかし、それでもまったく改善がみられなかった先生には、昨年、辞めていただきました。この先生は教員の適性試験では教職も教科もA、成績は良かった方です。つまり、試験や簡単な面接では、先生としての能力や知識は分からないということです。
 ですから、今年の教員の採用は、そうとう丁寧にやりました。このページの授業を何分間でやってください、というような模擬授業も課しました。面接のときも、「あなたが最近読んだ小説の中で非常に感銘を受けたのは何か」という質問を必ず入れました。
 その中で、夏目漱石の『坊ちゃん』を挙げた人がいました。教師のことが書いてあるからそう言っただけで、このような人は駄目です。
 生徒を一段上から見ているという意識の先生では、とても教育を変えることはできない。一人ひとりの子供が、今何を考えているのか、どんな問題を抱えているのか、今日は顔色が悪いな、といったことにどれだけ気づくことができるか。直接子供たちと接している先生方のそういう意識と授業を土台にして、教育を変えていくしかないからです。結局、教育を変えていくのは教員なのです。親としっかり連絡をとりながら、家庭で足りないものをはっきり指摘して、それを少しでも良くする方向へ変えていく。教員が、親に遠慮していては、本当の教育はできないと考えてほしいのです。

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